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高鳴る

 千鶴ちゃん、秋祭りに行かないか? そう誘われて千鶴は非常に浮かれていた。近所の――毎年初詣に行く神社で今年も秋祭りが行われるのだという。
 規模はさして大きなものでもない。けれど、小さな頃から好きだったお祭りだ。そのお祭りに好きな人が行こうと誘ってくれたのが、千鶴にとってとても嬉しくてたまらないことなのだ。
「先生と一緒に、かぁ」
高校を卒業して数ヶ月、彼とはもう教師と生徒の間柄ではなくなったがどうしてもまだ先生と呼んでしまう。学生の頃は千鶴を『雪村君』と呼んでいた彼が名前にちゃん付けで呼ぶようになったというのに……。その呼び名にも慣れなくて、呼ばれる度にどうしてもどきどきしてしまうのだ。
 彼はそこまで深く意識して千鶴を呼んでいるわけではないだろう。学生の時も彼は千鶴を守るべき生徒として大事にしてくれたが、今では妹のように大事にしてくれる。千鶴も彼を(本当の兄はちゃんといるのだけれど)兄のように慕っている。
 彼、永倉新八とは今ではそんな感じの間柄である。
 もっとも、千鶴の方は既に永倉に対して『兄』以上の感情を持ってしまっているのだが。
「何、着ていこうかな?」
お誘いのメールが残る携帯電話を包み込むように握って千鶴は呟いた。


■□■


 そして、当日。

「うお……。毎年来てっから予想はしてたが今年もまたすごい人だな」
感嘆の声を上げる永倉に「そうですね」と千鶴も答えた。この街にこんなに人が住んでいるのかと毎年思うが、今年は例年にも増して人が多い。初詣の時もそうだったが、これでは何かの拍子に簡単にはぐれてしまうだろう。
 永倉は学園でもよく見るいつもの出で立ちで祭りに来ていた。この時点で永倉が今日の外出についてをそういう意味で捉えていないことが窺える。
 一方、千鶴はというと。
(ううっ、歩きにくいなぁ)
人の多さもだが、今の千鶴は普段より歩くことが難しい格好だ。
(先生、私の浴衣どう思ったんだろ)
千鶴は浅葱色に桜の散った柄の浴衣を着ていた。数日前、今日のことを友人である鈴鹿千に話したら「それならおめかししなくちゃ!」と見立ててくれたのだ。お千のお下がりだというその浴衣は質の良い着やすい浴衣で帯から何から千が選んで譲ってくれた。流石に貰ってしまうのは気が引けたが、千が言うには自分が着るにはもうサイズが合わない、それなら千鶴が着てくれた方が浴衣も喜ぶと千は言った。
 何かしらのお礼をと考えながら、今度の休日にお礼と一緒に今日のことも話さなければならないのだろうなと思った。千は千鶴の恋の相談に乗ってくれる相手でもあり、応援してくれる相手でもある。
 永倉はそうして着てきたこの浴衣をどう思っただろうか。それが少し不安であり、気になるところだった。さっき会った時、千鶴の浴衣姿に戸惑いつつも「似合ってるぜ!」と笑っていたので失敗だったということはないとは思うのだが。
「さて、まずはお参りしてからだな」
参道を人の流れに乗って進む。両脇に並ぶ屋台を見ながら永倉があれも食いてぇななんて呟くのが永倉らしくて千鶴はクスリと笑った。
 時折、高校生らしいグループがちらほらと目に入る。千鶴も薄桜学園に通っていた頃はあんな風に先輩達や友人と来ていた。時々、見回りで来ていた先生方とも遭遇しながら……その先生の中に永倉も含まれる。あの時と同じような瞳で彼らを見ている永倉が、ああ、やっぱり先生なんだなと思うと千鶴は少しズキリと胸が痛むのを感じた。
 今、永倉はどんな気持ちで自分の隣にいるのだろう。きっと、今でも自分はあの頃と同じ。たくさんいる生徒の中の一人なのだろうか?
 ゆっくりとだが列が進み、千鶴達は無事に参拝を済ませることが出来た。何をお願いしたのか訊く永倉に秘密ですと答える。永倉は少し残念そうではあったがそれ以上追及するようなことはしなかった。無論、何を願ったかなんて言えるわけないのだけれど。
 これからがお祭りのメインだ。射的やくじ引きなどのゲームや出店の食べ物などを物色しながら二人は歩く。
「ありがとうございます」
何を買うべきか悩む千鶴に、永倉がりんご飴を買ってくれた。姫りんごで作った小さいサイズのりんご飴だが、千鶴の口ではバリバリと噛み進めることが出来ない。それ以前になんだか勿体なくて、千鶴は時折それを舐めながら歩いた。永倉の方はというと、財布の少ない中身を見ながら何を食べようか検討しているらしくその手にはまだ何も握られていない。
 なんだか悪いと思いつつ、けれどまるでデートのようなこのひと時が嬉しくて仕方がない。
 けれども、人の波がいっそう酷くなったその時だった。
「あっ!」
後ろからぶつかられて、千鶴は前のめりに転んでしまった。
「あ……」
はずみで手にしていたりんご飴が地面に落ちる。せっかく永倉が買ってくれたのに。
(痛い……)
転んで打ってしまった膝もそうだが、それ以上に左足首が痛い。慣れない下駄を履いている上で転んでしまったために足を捻ってしまったようだ。加えて下駄の鼻緒まで切れてしまっている。
「せ、先生……?」
永倉の姿が見えない。千鶴に気づかずに先に行ってしまったのだろうか。
「先生!?」
返事は、返ってこない。
 心細さに堪らなくなって、千鶴は俯いてしまった。
「うっ……」
涙がこみ上げてくる。自分は何をやっているのだろう。なんだか情けなくなって千鶴はそこから動けなくなってしまっていた。
 だが。
「千鶴ちゃんッ!」
永倉の声が上から降ってきて、千鶴は顔を上げた。
「先生……」
そこには焦った表情の永倉がいて――、きっと千鶴を探してくれていたのであろうことが窺えた。
「大丈夫か? 急に姿が見えなくなったからよ」
すまねぇ、と。先に行ってしまったことをそう詫びて地面に座ったままの千鶴に永倉は手を差し伸べてくれたが千鶴はその手を取ることが出来なかった。
 大丈夫ですと答えて立ち上がらなければいけないのに足が痛くて立ち上がれなかった。
「千鶴ちゃん。ひょっとして、怪我してんのか?」
千鶴の様子を永倉が察したのか言う。千鶴は首を横に振ろうとしたが、立つことも出来ないくせに永倉を誤魔化すことは出来ないだろう。俯きながら「はい」と。消え入るような声で千鶴は答えた。
「そっか……」
永倉が言うのが聞こえたと思ったら、千鶴は自分の身体がふわりと浮いたのを感じた。
「せ、先生!?」
永倉の顔が近くに見えて戸惑う。所謂『お姫様抱っこ』というものをされているのだと、一呼吸おいて千鶴は気づいた。
「足、痛えんだろ? 捻挫してるみてぇだし無理しない方がいいぜ?」
永倉は何でもない事のように笑うが千鶴はそうではない。今にも心臓が爆発しそうなほどだ。
 永倉は千鶴を抱き抱えたまま鼻緒の切れた下駄を拾い歩き出した。
「残念だが、今日はもう帰った方が良さそうだな」
心底残念そうに永倉が言うのに千鶴は小さく「ごめんなさい」と詫びた。すると永倉は「俺の方こそごめんな」と謝ってくれたが、永倉が悪いわけではない。
 神社を出て、雪村診療所までの道を行く。時間も時間な所為か人通りも少なく、先ほどとは打って変わって過ぎるくらいに静かだ。
 自分の心音が永倉に聞こえてしまうのではないかと思うくらいに。
「本当に、ごめんなさい」
千鶴はもう何度目になるかわからない詫びの言葉を永倉に告げた。
「だから気にすんなって」
永倉は気にするなというが、どうしても気になってしまう。
「せっかくりんご飴も買ってくださったのに……」
転んだ時に落としてしまったそれを悔いて呟く。永倉から貰ったことが嬉しかった。なのにあんな形で手放すことになるとは思わなかった。
「なんだ、千鶴ちゃん。りんご飴、食べ損なったの悔やんでんのか?」
永倉が訊く。
「い、いえっ」
永倉は千鶴がりんご飴を食べられなかったことに残念がっていると思えたのだろう。あながち間違いでもないが、食い意地云々の意味合いでそう思われると女子としてはかなり嫌だ。弁解しようと千鶴は口を開く。
「大丈夫だって。来年また食べようぜ。今度はりんご飴だけじゃなくて、焼きそばとかたこ焼きとか……あと焼きトウモロコシもイイよなっ!」
言葉を発する前に言われて千鶴はその言葉を口に出来なかった。代わりに一つ永倉に訊く。
「来年も連れてってくださるんですか?」
すると永倉は彼らしいいつもの笑顔で千鶴に言った。
「おうっ。来年も来ようぜ」
「っ……」
千鶴は永倉の胸元に顔を埋める。足が痛むのかと慌てたように問う永倉に顔を見せないように「大丈夫です」と答えた。顔が燃えるように熱い。こんな顔、永倉には見せられないと思った。
 嬉しくて、嬉しくて。まだ三百六十五日はあるであろう先の約束が千鶴を高揚させる。
 今年のお祭りは少し残念な形で終わってしまった。けれど、来年のその約束が残念を帳消しにしてくれた。
 千鶴の家まであと少し。あと少しだけ……、千鶴は永倉の腕の中でこの喜びに包まれていたいと思った。

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