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現在、薄桜鬼(真改含む)永倉×千鶴中心にやっています。
燦燦
掌
初めてその掌てのひらに触れたのは池田屋事件と呼ばれる夜のことだった。
新選組の名を世に轟かせた大捕物。その捕物の最中に負った怪我を診るためにその左手に触れたのがそうだったと思う。手の肉がこそげたような酷い有様だったというのに彼――永倉新八は「痛くない」なんて笑っていた。
実際、痛みを感じていないのかもしれない。逆に言えば、それほどまでに深い傷であるとも言えなくもない。そんな傷を負っておきながら「先に他の奴らを診てやって欲しい」などという永倉が、自分の思っている彼とは実は違うのではないかと思い至った。
千鶴にとって、永倉新八という男は何を考えているのか解らない怖い人であった。表情上笑っていても、目が笑ってないことが多かった。自分の腹の中を決して見せようとしない。そんな男だった。
今にして思えば、あれは例えて言えば敵意、例えて言えば不信……そんなものだったように思う。
その『敵意』が永倉から消えたのは紛れもなくあの夜だった。永倉の傷を手当する千鶴に、彼は「ありがとう」と言ってくれ、これまで千鶴を不信に思っていたことを謝ってくれた。男が女に頭を下げるのだ。それも、武士。簡単に出来る真似ではない。けれど、永倉が見せてくれたその誠意は間違いなく千鶴の彼に対する印象を変えるものだった。
それ以降、彼はその手でよく千鶴に触れるようになった。わしゃわしゃと、千鶴は女だというのに。彼女の頭を撫でるようになった。
躊躇いなく触れる千鶴に触れる永倉の掌を暖かく感じるようになったのはいつ頃だっただろう? 血に塗れた真っ赤なその掌が、最初は他人の血で濡れた怖いものにしか思えなかったというのに……。
暖かなその体温に受け入れてもらえているようなそんな気がして。千鶴はこの掌が大好きなった。
「千鶴ちゃん」、そう自分を呼びながら永倉は千鶴を撫でる。
自分に兄がいたらこんな風なのだろうか。そう、思えるほどだった。
けれど、自分は欲張りになってしまったのだろうか。
永倉が島原に行くということが次第に嫌になっていった。
原田や平助と島原に行く永倉はいつも楽しそうだ。島原に行くということは女を買いに行くということである。あの暖かな手で永倉が妓おんなの肌に触れるということだ。
それが、どうにも嫌だ。
出会った頃はどうとも思っていなかったそれが、どうにも胸に引っ掛かるようになった。そうなった理由をいくら考えても答えは出て来てくれず、かといってまさか「花街に行って欲しくない」などと言える立場でもない。
困ったな。そうは思えど相談出来る相手もいない。しかも、永倉は「悩みがあったら何でも言えよ」相談に乗るからといつもの調子で千鶴の頭を撫でながらそう言うのだ。
大丈夫ですとそう答えながら、実際は全然大丈夫じゃなかった。
そんな風に日々を過ごしながらそんなことなど考えてる場合ではないほどに時代は急激に流れていった。
伊東派の離脱、御陵衛士の暗殺――平助の羅刹化。
新選組を取り巻く状況は緩やかに悪化の一途を辿りながら千鶴にとっても最悪の事態に発展していた。
大政奉還、薩長軍との戦、敗走、そして裏切り。淀藩の兵士の凶弾に井上と永倉は倒れ、千鶴を救うために永倉は羅刹にされた。
そう。羅刹にされた。井上の手で。
永倉自身は初めから羅刹になることを拒絶していた。尽きるはずの命を無理やりに延命して、人間としての尊厳を打ち砕いて戦うための存在にする。そんな道に外れた薬である変若水を永倉は真っ向から否定していた。実際、平助が羅刹になった時だって永倉は見たことのない表情で悩んでいた。
そうだというのに自分の所為で永倉は羅刹にされたのだ。これが最悪と言わずしてなんと言おう。
井上は永倉に千鶴を守るよう言いおいて逝った。井上は永倉の信念を曲げてでも永倉や千鶴に生きていて欲しいと思ってくれたのだろうか。
永倉の掌が血に濡れる。感情もなく、ただ本能のままに振るわれる剣を握るその手は嘗てのままであるのだろうか?
全てが終わって、自分を責めて涙する千鶴の手を永倉は握ってくれた。
その掌が、やっぱり暖かくて。千鶴は涙を流した。
永倉は千鶴を責めなかった。自分を羅刹にした井上を恨んでもいなかった。「なってしまったものは仕方がない」と笑っていた。彼らしいと言えばそうだが、羅刹になるということを断固拒絶していた永倉がそれを受け入れたのは、やはり、千鶴の所為なのだ。
永倉は気づいているだろうか。それでも、それでも。本当なら二度と体温の感じられなくなってしまうはずだった彼の掌が変わらず暖かいことが、千鶴には堪らなく、嬉しかったことに。
これからもその暖かさを感じていたいと、願ってしまったのだ。仮令、彼が忌むべき羅刹そんざいになってしまったのだとしても。
その感情が『愛』だということなど知らずに。